最高裁判所第二小法廷 昭和43年(あ)413号 判決 1969年7月11日
主文
本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
弁護人藤井英男の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、原判決は、なんら所論判例(昭和二三年(れ)第二〇三二号同二四年六月一一日第二小法廷判決、刑集三巻七号九六八頁。所論に昭和二三年六月一日とあるのは誤記と認める。)と相反する判断をしていないから、所論は理由がなく、同第二点は、憲法三一条違反をいうが、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない(本件けん銃が、その修理が合法的にできるか否かにかかわらず、銃砲刀剣類等所持取締法(昭和三三年法律第六号。同四〇年法律第四七号による改正前のもの)にいう「銃砲」にあたるとした原判断は正当である。)。
また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて、同法四〇八条、一八一条一項本文により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(草鹿浅之助 城戸芳彦 色川幸太郎 村上朝一)
弁護人の上告趣意
第一点 原判決は最高裁判所昭和二三年六月一日第二小法廷判決(判例集三巻七号)に違背し破棄を免れない。
一、原判決は右被告人に対し銃砲刀剣類等所持取締法を適用するにあたり、同法第二条第一項の銃砲の要件として同法に云う銃砲とは、「現に弾丸発射の機能を有するものにかぎらず、故障のため一時銃砲としての機能に障害があつても、通常の手入れ又は修理を施せばその機能を回復することができるものもそれに包含される」との御庁の前記判決を引用し、本件拳銃は、現状において弾丸発射の機能を有しないことは、明らかであるが、その故障部分は「通常の手入れ又は修理を施せばその機能を回復することができるもの」として同法にいう「銃砲」にあたるとして、被告人に対し有罪を言渡た。
二、原判決が、右のごとく本件拳銃を「銃砲」であると認定した理由は、御庁の前記判決中「一時銃砲としての機能に障害があつたとしても、通常の手入れ又は修理を施せばその機能を回復することができるもの」との判示理由を、「右にいわゆる通常の手入れ、修理とは、一般通常人において、当該銃砲の故障の発見、補修等が容易に行われる場合だけをいうと解釈することは狭きに失して妥当でなく、たとえ一般通常人では、手入れ修理等が困難な場合でも、銃砲等の修理設備を有する銃砲専門店あるいはある程度熟練した施盤工において修理可能なものも右にいう通常の手入れ、修理の範囲に含まれるというべき」である、との解釈に立つているからである。
しかし、原判決の右のような見解は、御庁の前記判決の理解を誤まつたもの、と云わざるを得ない。
三、御庁の前記判決中の「通常の手入れ又は修理を施せば」というのは、
(1) 一面では、原判決のいうごとく、一般通常人のみならず、銃砲専門店又は熟練した施盤工などが、容易に修理することが技術的に可能な場合をいう、と解しても、そのほかに、
(2) それが単に技術的に容易である許りでなく、社会的にも容易である場合でなければ、「通常の手入れ又は修理」が可能であるとはいえない。
というべきである。
四、ところで、本件拳銃の修理が、被告人又は一般通常人では技術的に困難であるとすれば、これを原判決のいうごとく、銃砲専門店等に修理の依頼をしなければならない。
しかしながら、第一審判決もいうがごとく、拳銃は禁制品であり、専門店等にこれが修理の依頼をすることは社会的に容易ではなく、他の一般物件のごとくその手入れ又は修理が簡単にできるものではない。被告人らとすれば、これを専門店等に修理依頼をすることは、社会的に相当の危険を覚悟しなければならず、しかも依頼を申し出てもこれを引受けてくれることは事実上相当困難であろう。それだからこそ、本件被告人らも、入手はしたものの、これが手入れ又は修理もできず、発射機能を有しないままの状態で所持していたものと考えられる。(暴力団に所属していた被告人の心理としては、その修理が容易であれば、とうに修理していたであろう。)
要するに、こうした社会的要素を考慮すると、本件拳銃は決して「通常の手入または修理」によつて、その発射機能を回復できるものと認めることはできず、したがつて本件拳銃を、前記取締法にいう「銃砲」と解することはできない。<後略>
<参考・原審判決理由>
(広島高等松江支部昭和四一年(う)第一〇五号、銃砲刀剣類等所持取締法違反被告事件、同四三年一月二九日判決・破棄自判、原審鳥取地裁)
よつて記録を検討するに、原判決は、被告人両名の右拳銃不法所持につき無罪を言渡した理由として「鑑定人松本弘之の鑑定等によると本件拳銃は撃鉄バネおよび撃針部分等が故障しているため、現状において弾丸発射の機能を有しないことが明らかである。そこで、右故障部分がいわゆる通常の手入又は修理によつて回復できるかどうかを考察すると、鑑定人松本弘之は、その鑑定尋問において本件拳銃は撃鉄バネの補充だけで十分に発射機能を回復できると供述していたのにもかかわらず、その後、右撃鉄バネの修理に代えて行つた輪ゴム使用による発射実験に際し、その発射実験が不成功に終るや、はじめて本件拳銃には撃針部分にも欠陥が存することを指摘するにいたつたものであつて、同鑑定人のような専門家であつても、撃針部分の欠陥の発見にはこのような経過(発射実験)を必要としたのであるから、本件拳銃の欠陥の発見、補修の程度およびその方法については、それらが一般通常人に容易に行われうるかどうかきわめて疑問であり、またその修理もかなり精密な作業を要するものと認められるから、本件拳銃が通常の手入れ又は修理によつて弾丸発射の機能を回復するものということができず、したがつて法にいう銃砲に該当しない」旨説明しており、これを要約すると、原判決は故障銃がいわゆる通常の手入れ又は修理によつて弾丸発射機能を回復するというためには、一般通常人において当該銃砲の欠陥の発見、補修が容易に行われ得る場合に限るとの前提にたち、本件拳銃の欠陥のうち撃針部分の欠陥の発見は専門家でさえも一見しただけでは困難であつたこと、その修理もかなり精密な作業を要することが窺えるから、もはや本件拳銃は通常の手入れ又は修理によつて発射機能を回復できるといえないと説明しているものであることは所論のとおりである。
そこで按ずるに、銃砲刀剣類等所持取締法二条一項は銃砲の要件として「金属性弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲」であることと定めているが、同法一条の規定する「この法律は、銃砲、刀剣類等の所持に関する危害予防上必要な規制について定めるものとする」という立法趣旨に鑑みると、右にいう銃砲とは、現に弾丸発射の機能を有するものに限らず、故障のため一時銃砲としての機能に障害があつても、通常の手入又は修理を施せばその機能を回復することができるものも、それに包含されるものと解すべきである(最高裁昭和二四年六月一一日第二小法廷判決、判例集三巻七号、九六九頁参照)。したがつて、現に弾丸発射の機能を有しない破損銃であつても、これをもつて直ちに法にいう銃砲でないと断ずべきではなく、当該銃砲の故障の原因を究明し、それが通常の手入れ又は修理によつて弾丸発射の機能を回復できるかどうかを検討しなければならないのであるが、もともと銃砲の手入れ、修理は、その事柄の性質上、ある程度それに関する知識なり、技術を有することを要求されるものであるから、右にいわゆる通常の手入れ、修理とは、一般通常人において、当該銃砲の故障の発見、補修等が容易に行われる場合だけをいうと解釈することは狭きに失して妥当でなく、たとえ、一般通常人では手入れ、修理等が困難な場合でも、銃砲等の修理設備を有する銃砲専門店あるいはある程度熟練した旋盤工において修理可能なものも、右にいう通常の手入れ、修理の範囲に含まれるというべきであり、そしてその手入れ、修理は、単に一、二発の弾丸が発射でき、人命殺傷の危険性を具有する程度にさえ補修されていれば足り、常に完全、精密に修理されることを必要とはしないし、また必ずしも安価になさなければならないものでもないと解するのが相当である。
これを本件についてみると、原審鑑定人松本弘之、同伊藤吉および当審鑑定人児玉源八の鑑定によれば、本件拳銃は、口経八粍弾倉回転式拳銃(通称レボルバー)であるが、撃鉄バネ、撃鉄軸が不足し、撃針が衰損変形し、安全子バネが破損しているため、現状のままでは弾丸発射の機能を有しないことが明らかである。そこで、本件拳銃が果して通常の手入れ、修理によつて発射機能を回復することができるかどうかについて考察してみるに、原審鑑定人松本弘之、同伊藤吉、当審鑑定人児玉源八の各鑑定を総合すれば、本件拳銃は前記のように撃鉄バネ、撃鉄軸、撃針、安全子バネが故障しているが、これらの故障の発見についてはある程度の知識がありさえすれば、拳銃の見分あるいは発射実験をなすことによつて容易に知り得るものであり、これら故障を修理するには銃砲等修理設備のある銃砲店ないしある程度熟練した旋盤工等において十分可能でありその修理、加工には、なんら特別の機械、器具、設備等を必要とはしないし、その資材には市販の鋼材でもこと足りること、そして、単に二、三発の弾丸を発射させる程度に修理するだけなら、前記修理のための所要日数は概ね三日半、費用は約、七、五〇〇円で済み、しかもそれに所要時間約一〇時間と費用約二、八〇〇円を追加すると、連続発射の機能まで回復するにいたるものであり、多少命中精度が悪くても、右の如き修理をし、弾丸をこめて発射させれば、優に人命を殺傷しうるものであることがそれぞれ認められる。これによると、本件拳銃の撃針等故障部分の発見については原判決のいうような困難なものではなく、その修理も一般通常人でできないにしても銃砲店等で可能であること、そして、本件拳銃については、その修理が完全精密になされなくても所要日数概ね三日半、費用約七、五〇〇円をかければ人命殺傷の危険性を具備する程度に修理することが明らかであるから、本件拳銃はいわゆる通常の修理によつて弾丸発射の機能を回復できるものであると認めるを相当する。
本件拳銃のいわば応急的な修理にも前記ののとおり所要日数として三日間半、費用約七、五〇〇円かかるということは、必ずしも容易な修理とはいえないかも知れないが、しかし、右の修理についてはなんら特別の機械、器具、設備等を必要としないし、少くとも右の日数と費用をかければ、本件拳銃は応急的でも修理ができるものであり、いわゆる通常の手入れ、修理とは必ずしも安価になされなければならないものではないから、本件拳銃の修理につき右の日数、費用を要する場合でも、前記にいう通常の修理というべきである。因みに、本件拳銃は、昭和三九年三月頃被告人村田が他から金一、八〇〇円で買受けたものであるが、同被告人からこれを譲り受けた被告人小原は本件拳銃を野一色敏温らに代金二万ないし一万五、〇〇〇円で売却しようとしていたものであることが被告人小原の司法警察員に対する各供述調書、原審証人野一色敏温の証言によつて窺えるところである。
なお、当審鑑定人児玉源八作成の鑑定書中には、本件拳銃の修理については、ほとんどの修理部分が市販品でなく、手仕上で作られなくてはならないので引受手があるかどうか疑問である旨の記載があるが、同鑑定書全文を通読すると、それは、本件拳銃を完全なものに回復するについての修理能力を記述しているものと解されるから、右記載部分は、本件拳銃を単に二、三発発射できる程度に修理することについての前記認定の参考資料に供することができない。
原判決は、拳銃は禁制品であつて、その修理は合法的に行われるものではなく、かりになんらかの特別の関係によつてそれが可能であるとしても、それはもはや通常の手入れ又は修理の範囲に属しないと説明しているけれども、しかし、拳銃が禁制品であるかどうかはともかくとして、たとえ合法的に拳銃の修理ができない場合でも(なお銃砲刀剣類等所持取締法三条一項五号は、武器等製造業者が武器修理のための所持を許容される場合につき、同法所定の他の業者等とは異なりなんらの規定をもしていないけれども、それは法令に基づき職務のため武器を所持することを許容されている者から修理を委託された場合に限ると解するのが通説であり、右にいう武器には拳銃が含まれる)、法令の除外事由がないのに拳銃を所持している者は、すでに法を犯しているものであり、かかる者に対しては合法的に拳銃修理を行うことを最初から期待し得ないし、かかる者は、知人縁故関係を利用したり、あるいは強要、懇願を繰り返して他の者に拳銃修理を委託し、修理者も右修理に応ずることが大いにあり得るところであるから、拳銃修理が合法的に行われなくても、それは前記のいわゆる通常の手入又は修理の範囲に属するものと解すべきである。すなわち、銃砲の修理につき特別な機械、器具、設備とか入手困難な特別の資材を要するという場合は格別、普通の設備と資材で技術的にその修理が可能なものは、その合法性の有無にかかわらず前記のいう通常の修理によつてなされ得るものというべきである。しかして本件拳銃が普通の設備等の資材で修理できるものであることは前述のとおりであるから、たとえその修理が合法的になされない場合でも、通常の修理によつて発射機能を回復できるものといわなければならない。
要するに、本件拳銃は撃鉄バネ等が故障しているため、現状のままでは弾丸発射の機能を有しないが、通常の修理を施すことによつて、その発射機能を回復できるものである。したがつて、本件拳銃は前説示の理由により銃砲刀剣類等所持取締法にいう銃砲であると解するを相当とする。
そうだとすれば本件銃拳が、同法にいう銃砲に当らないとして、被告人村田に対しその公訴事実中同法違反の点及び被告人小原に対しいずれも無罪を言渡した原判決は、まさしく法令の解釈適用を誤つたものであり、その誤りは被告人両名に対する判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。<後略>